いつの日か、、

いつの日か、、

人それぞれだと思いますが、、

ペットと呼ばれるより小さな家族と最近では呼ばれる事も増えてきましたね。

畜生とは全く言わなくなりました。

あの子達が我々に与えてくれる癒し、、

それに対して気持ちや言い方も変わったのかもしれません。

時には笑わせてくれ、、

時には一緒に悲しんでくれ、、

何も言わず 寄り添ってくれたり、、

ワガママを言って困らせてくれたり、、

友であり恋人であり子供であり沢山の役をこなすあの子達。

いろいろな思い出を作ってくれますね。

もっともっと 小さな家族だけでなく この世の動物全てが幸せになってくれる事を 心から願っています。

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お別れ式最後の送る言葉

お別れ式最後の送る言葉

めるもでお見送りさせていただく時に

お別れ式は まず表白を読みます。これは生前 人に尽くし癒しを与えたくれた 労を労い 感謝の言葉と安らぎを祈る文面となっています。

その後 般若心経を読経させていただきます。

締めくくりに必ず次の言葉で終わります。

『虹の橋を渡りまた家族になれますようにお見送りさせていただきます。』

これは この子達が虹の橋?の袂で我々 家族が来るまで待ってていてね。

それからみんなで手を繋ぎ 橋を渡り次の転生し、、また家族になろうね。って意味を込めさせていただいています。

そのお手伝い、、ちゃんと迷わず虹の橋の袂までお見送りするのが我々の仕事だと思っています。

ですから 残す事無く拾骨しご家族の元へ、、

最後まで責任を持って送られていただきます。

供養の形

供養の形

『供養』って言葉で誤魔化されていませんか?

よく葬儀屋さんや霊園などで『良いご供養になります。』とか

これをしないと供養出来ないとか言われますね、、

形に拘る事が供養でしょうか?

お墓や葬儀をしないと供養にならないのでしょうか?

僕はそう思いながらあの子達をお見送りしていません。

僕の考える供養とは 存在を忘れないであげる事、孤独にしない事

形は変わってもいつも 一緒にいてあげる事だと考えています。

肉体から魂が離れ それぞれ家族の心へと移動し ふとした時に存在を感じる事が出来る

時には思い出し、、笑い、泣き、また触れたくなる。

それが本当の供養だと僕は思います。

今のお寺さんは形に拘る供養ばかりな気がします。

お金をいくらかけても どんなに派手な葬儀にしようが 僕が願う供養は 孤独にしないで思い出してくれ忘れないで欲しい供養

そのお手伝い、、それがめるもの考えであり伝える事だと感じています。