『供養』って言葉で誤魔化されていませんか?
よく葬儀屋さんや霊園などで『良いご供養になります。』とか
これをしないと供養出来ないとか言われますね、、
形に拘る事が供養でしょうか?
お墓や葬儀をしないと供養にならないのでしょうか?
僕はそう思いながらあの子達をお見送りしていません。
僕の考える供養とは 存在を忘れないであげる事、孤独にしない事
形は変わってもいつも 一緒にいてあげる事だと考えています。
肉体から魂が離れ それぞれ家族の心へと移動し ふとした時に存在を感じる事が出来る
時には思い出し、、笑い、泣き、また触れたくなる。
それが本当の供養だと僕は思います。
今のお寺さんは形に拘る供養ばかりな気がします。
お金をいくらかけても どんなに派手な葬儀にしようが 僕が願う供養は 孤独にしないで思い出してくれ忘れないで欲しい供養
そのお手伝い、、それがめるもの考えであり伝える事だと感じています。