ネロと私、、田口

ネロと私、、田口

ネロと私

18歳になる私の実家の猫が1130日虹の橋へと渡りました。

18年前ペットショップで里親募集をしていた小さな黒猫、

  抱っこさせてもらいすぐさまうちの子に。 一人暮らしで体調が悪い時、私の枕元に来て寄り添ってくれた事がどんなに心強かったか。 その後実家で飼う事となり、母が一人暮らしになってからは随分母の支えになってくれました。 今のように完全室内飼いではなかったので、自由に庭に出て遊び日向ぼっこをして、よく鳴き、元気で、病気をする事もなかったネロ。

兄夫婦が母と同居してからは賑やかになり、小さい姪っ子がネロのしっぽを引っ張ったり、乱暴に扱っても逃げる事なく全く怒らない。本当に優しい猫でした。

おばあちゃん猫になるにつれ段々と痩せて外に出る事も少なくなり、とうとう骨と皮だけの状態に。「ご飯も食べず、調子が良くない」と聞き実家へ帰って会った瞬間、これで会えるのが最後になるかもしれないと直感しました。

それでも時々脚を振らつかせる事があっても歩き、座っていても揺れて、いつものネロの声で鳴いていました。 家族は出かけていたので、ネロと私だけの大切な時間。悔いのないように何度も何度も骨張った身体を撫で、何度も何度もキスをして感謝とどれだけ愛してるかを伝えると、優しい瞳で私を見て聞いてくれました。「ネロちゃん一緒に写真撮ろうね」と写真を撮りました。

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その日は私を安心させる為か、半分だけちゅ〜るを食べてくれたネロ。それから4日後ネロがもう危ないと連絡があり、その日は義母の手術で病院にいた私。手術がなかなか終わらず、一旦病室に帰って来たもののすぐに又緊急手術となり、無事に終わったのが翌朝の4時。同じ朝ネロが亡くなったと連絡があり

兄が手の平にネロの頭を乗せて側にずっと付いててくれた事が救いでした。  身体が完全に動かず冷たくなっているのに「ネロ」と声をかけると少しだけど反応を見せてくれたそうです。  この状態で反応見せるのが不思議だと。 その日は義母のお見舞いとセレモニーが入っていたので翌日実家へ戻り、寝ているようなネロを抱きしめ、しばらくしてから今迄の子達と同じように庭に埋葬してあげる事にしました。

皆がそれぞれ抱っこして、姪っ子に「いい子いい子して」と言うと優しく撫でてくれました。  

手にはお手紙を挟んであげ、お花や食べ物を供え、赤ちゃんのおくるみのように包み、紅葉の木の下に埋葬しました。  

とてもゆっくりと流れた時間。その夜に涙雨が降りました。  ネロと私だけの大切な時間を過ごせたこと、最後に孤独でなく兄がネロの側にいてくれた事、家族の望むお見送りが出来た事で、私が看取れなかったけれど安心出来ました。毎回実家へ帰るとすぐに「ネロは何処?!」と聞いていた私。今度からその言葉を発することがないかと思うと寂しい。これからは「ただいま!ネロ会いに来たよ!!」と伝え手を合わせます。

一緒にいるのが当たり前になっている毎日。本当は一緒にいる今がどんなに当たり前でなく、有り難いことか。

火葬でも土葬でも、家族が望むお見送りが一番だとめるもは考えます。

バタバタの毎日と、精神的にすぐにブログを書く事が出来ませんでしたが、長い文章を読んでくださりありがとうございました。

田口美枝

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